こんにちは、ハーバード大学流心理学で心と脳をポジティブに整える専門家、長沢修司です。
今日、新しい気付きや心動くこと見つけましたか?
自分の強みを生かしながら、モチベーション高く、前向きに、そして、ワクワクしながら、自分で考え行動し、ポジティブで健康な心で生きられるようにサポートしています。
私は、「立ち止まる」ことが苦手だった
仕事をする。新しいことを学ぶ。誰かの役に立つ。次の目標へ向かう。長い間、私は「前へ進むこと」に価値を置いて生きてきました。
だから、何もしない時間があると、「これでいいのだろうか」「もっと何かしなければ」という気持ちになることもありました。予定のない一日を過ごすだけで、どこか落ち着かない。休んでいるはずなのに、頭のどこかで次のことを考えている。そんな自分が、長く当たり前でした。
ところが最近、少し考え方が変わりました。
人生には、あえて立ち止まる時間も必要なのではないか。
そう思うようになったきっかけは、自分から望んで手に入れた気づきではありませんでした。むしろ、望んでいなかった時間の中で、否応なく気づかされたことです。今日は、そのことについてお話ししたいと思います。
私が立ち止まらざるを得なかった時間

きっかけは、最近経験した手術と、そのあとの休養でした。病状や治療の詳細をここで詳しくお話しする必要はないと思っています。大切なのは、何が起きたかではなく、その時間に何を感じたかだからです。
今までのように仕事ができない。発信も止まる。計画していたことも進まない。最初は、焦りがありました。周りだけが進んでいて、自分だけが取り残されているような感覚。早く元に戻らなければ、という思いが常にありました。
しかし、どうしても進めない時間があります。身体が、意思とは関係なく「休みなさい」と言ってくる。これまで、心の状態については何度も語ってきましたが、身体そのものが発する声には、案外向き合ってこなかったのかもしれません。その現実を前にして、初めて私はこう思うようになりました。
「今は、進まなくてもいいのかもしれない」
不思議なもので、そう思えるようになるまでには、それなりの時間がかかりました。最初の数日は、じっとしていることが苦痛でした。何かをしていないと、自分の価値が下がっていくような感覚さえありました。それでも、身体が回復するペースは、自分の気持ちとは無関係に進んでいきます。焦っても、早くなるわけではない。そのことを、身をもって思い知らされました。
止まってみて初めて見えたもの

立ち止まったことで、忙しいときには見えなかったものが、いくつか見えてきました。今回はそれを3つに整理してお話しします。
一つ目は、身体です。
頭では、健康が大切だと分かっていました。しかし「知っている」と「実感する」は、まったく別のものです。何かを成し遂げるためにも、まず自分自身が元気でいる必要がある。当たり前のようで、忙しいときにはすっかり忘れていたことでした。
二つ目は、当たり前だと思っていた日常です。
朝起きる。食事をする。家族と話す。外を歩く。普段なら気にも留めないことが、実はとてもありがたいことだったと気づきました。何気ない一日が、当たり前ではなかったのです。
三つ目は、支えてくれる人の存在です。
自分一人で生きているように感じていても、実際には多くの人に支えられていました。連絡をくれる人、気にかけてくれる人、何も言わずにそっとしておいてくれる人。人とのつながりは、レジリエンスの大切な要素の一つですが、それを頭ではなく実感として理解したのは、立ち止まったこの時間があったからです。
こうして振り返ると、この3つはどれも、忙しく動いているときには気づきにくいものばかりです。前へ進んでいるときの私は、目の前の目標や課題にばかり意識が向いていて、自分を支えている土台そのものには、あまり目を向けてきませんでした。立ち止まったことで、ようやくその土台の存在に気づけたのだと思います。
「何もしない時間」は、本当に何もしていないのか

私たちは、成果を出すこと、行動すること、前進することを「成長」だと考えがちです。
しかし、植物にも成長が見えない季節があります。地上では何も起きていないように見えても、その間、根は地中で伸びています。人間にも、同じような時期があるのではないかと、私は思うようになりました。
立ち止まっているように見える時間にも、人は自分の内側で何かを整理しています。外からは分からなくても、心の中では確かに何かが動いている。そう考えると、休んでいる時間を「無駄な時間」だと責める必要はないのかもしれません。
私自身、休養の間、何かを積極的に学んだり、考えをまとめたりしていたわけではありません。むしろ、ぼんやりと過ごす時間のほうが多かったように思います。それでも、その時間を経たあとで振り返ると、以前よりも物事の優先順位がはっきりしていることに気づきました。整理しようとしなくても、時間が自然と整理してくれることがあるのだと思います。
レジリエンスは「前へ進み続ける力」ではない

レジリエンスというと、「困難に負けない」「何があっても頑張る」というイメージを持つ人がいます。しかし、それだけではありません。
疲れたら休む。助けを求める。自分の感情を認める。そうやって自分を立て直す。これらもすべて、レジリエンスです。
休むことと、諦めることは違います。
休むことは、また歩き出すための、一つの選択でもあるのです。私自身、これまで「レジリエンス」を語る側として、頑張り続けることばかりを強調してこなかったか、この経験を通して振り返る機会になりました。
伝える側であっても、いえ、伝える側だからこそ、自分自身がその力をどう使っているかを、時々問い直す必要があるのだと思います。今回の経験は、私にとって、そうした問い直しの機会でもありました。
「戻る場所」があることの大切さ
レジリエンスを「元通りになる力」とだけ考えると、「以前と同じように働けないといけない」「元気だった頃の自分に戻らなければ」という思いに縛られてしまいます。
しかし、本当に必要なのは、必ずしも「元通り」であることではないと、私は思うようになりました。立ち止まった経験を経て、以前とは違う価値観を持った自分として、また歩き出してもいい。
戻るとは、過去の自分に戻ることではなく、新しい自分で再び歩き始めることなのかもしれません。これは、私が伝えている「自己革命」という考え方にも、深くつながっています。以前の自分に戻ろうと力むより、この経験を経た今の自分から、もう一度歩き始める。そう考えたほうが、ずっと自然に前を向けるように感じています。
人生後半だからこそ「立ち止まる意味」がある

40代、50代、60代以降。若い頃と同じように、ただ前へ前へと進む必要はありません。
むしろ人生後半では、「あと何を達成するか」だけではなく、「これから、どう生きたいのか」を考える時間が重要になってきます。若い頃は、立ち止まることが遅れのように感じられたかもしれません。しかし人生の後半では、立ち止まって考える時間そのものが、その後の生き方を大きく左右します。
立ち止まることによって、本当に大切にしたいもの、やめてもいいもの、これからやりたいこと、一緒に過ごしたい人が見えてくることもあります。速く進むことよりも、どこへ向かうのかを見つめ直す。それが、人生後半における立ち止まる時間の意味なのだと思います。
立ち止まったから、仕事についても見えてきた
休養によって仕事から少し距離を置いたことで、「自分は何のために、この仕事をしているのか」を改めて考えました。
単に、レジリエンスの知識を教えたいわけではありません。ただ成功する方法を教えたいわけでもありません。
人が人生の途中で立ち止まったとき、「もう一度、自分の人生を始めてみよう」と思えるような支援をしたい。私が本当にやりたいのは、そういうことなのだと、改めて気づきました。
これまでも、頭では分かっているつもりのことでした。しかし、自分自身が立ち止まる経験をしたことで、その言葉に、以前とは違う重みを感じるようになりました。知識として伝えることと、実感として伝えることの間には、大きな差があるのだと思います。
今日の自己革命の一歩
今回は、いつもの「何か行動しましょう」という提案とは少し違うことをお伝えしたいと思います。
今、無理をして続けていることはありませんか。本当は少し休みたいと思っていることはありませんか。もし立ち止まったら、何が見えてきそうですか。
今日は、新しいことを始めなくても大丈夫です。10分だけ、何もしない時間をつくってみてください。それが、今回の「小さな一歩」です。
まとめ ― 立ち止まることも、人生を前へ進めている

以前の私は、前へ進むことが成長だと思っていました。今は少し違います。
歩くときがあっていい。走るときがあっていい。そして、立ち止まるときがあってもいい。大切なのは、自分の人生を見失わないことです。
立ち止まった時間は、人生の空白ではありません。次にどこへ向かうのかを、自分自身に問い直す時間なのだと思います。
これからも私は、前へ進むことだけでなく、時には立ち止まることの価値も、自分の経験として伝えていきたいと思っています。
ではまた!































