「Stay Home」で映画を見る人が多くなっています。
今日は、日本の今と未来を映しだす、ぜひ見てほしい映画があるので紹介します。
こんにちはメンタルトレーナーの長沢です。
自分の強みを生かしながら、チベーション高く、前向きに、そして、ワクワクしながら、自分で考え行動し、ポジティブで健康な心で生きられるサポートをしています。
『感染列島』など現状を反映するような映画が再注目されていますよね。
そんな中、今日僕が特におすすめする映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』は日本の今と未来を映し出す映画です。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』はこんな映画
イギリスを舞台にした映画です。
主人公は、大工のダニエル・ブレイクとシングルマザーのケイティと二人の子供たち。
59差になるダニエルは心臓病を患っているため仕事を止められます。そのため国の援助を受けようとしますが、制度が複雑過ぎ、ダニエルは必要な援助が受けられません。
一方、ケイティは、食べるものにも困るほどの貧困に有ります。
ダニエルとケイティ家族は偶然の出来事から交流が生まれ、貧しいながらも寄り添い絆を深め、懸命に生きていきます。
しかし、彼らを取り巻く現実は厳しく、次第に彼らを追い詰めていきます。
日本の今と未来を映し出す内容とは
かつてイギリスは、「ゆりかごから墓場まで」と言われるくらい医療・福祉制度が整っていると言われてきました。
しかし、現在の実態は、医療制度は完全に破綻し、貧困層の人はまともな医療を受けることができないと言われています。
この映画では、今のイギリスの現実、老人を置き去りにし、シングルマザー家族に手を差し伸べることもしない現実を描いてます。
それは日本の今と未来に重なります。
でもそれだけではなく、この映画は、僕たちの心の奥底まで強く訴えかけてくるものがあります。
イギリスの福祉制度と貧困の実態を描く映画が、どうしてここまで心に響くのか。
単純に、どうして社会的に弱い立場の人たちを救えないのか?というだけではない。そこには僕たちに鋭く迫るとても本質的な疑問を投げかけているように僕は思います。
日本という国は何なのだ?誰のための国なんだ?ということを考えざるおえない映画です。
「わたしは、ダニエル・ブレイク。人間だ、犬ではない」
ダニエルの尊厳を捨てないいき方を表現するセリフです。
複雑な制度を受けるためには、そもそもパソコンができなければ無理なのです。大工として実直に働いてきたダニエルにとってパソコンは未知のものです。
パソコンで入力という一見便利そうに見える行為そのものもパソコンをできない人にとっては、その時点で制度を受けられないのです。
人員削減で仕事を合理化していくことで、本来誰のために働いているのかということや誰のための制度なのかということを忘れていく。
合理性を求めることが、そこで働く人の心を貧しくさせてしまう。
そのことのほうが、よっぽど貧しいというのではないか。
そう訴えているように聞こえます。
まさに今日本で起きていることそのものでもあります。
少子高齢化、生活保護、老齢介護、子育て問題、そして今回の一連の騒動での補償問題などなど大きなニュースが日本中を飛びかっています。
本当に援助を求めている人たちを僕たちは気づかないうちに無視してはいないだろうか。
この厳しい状況で補償を受けたくても煩雑で複雑な手続きに翻弄されて、手続きを諦めてしまう人がいいるような制度。
映画で描かれたイギリスの実情はそのまま僕たちが住む日本の今と未来を映しているのではないか。
自分の名前を忘れて、いびつな社会の歯車になろうとするとき、
「わたしは、ダニエル・ブレイク。人間だ、犬ではない」
ということばを思い出そう。
まとめ
複雑な制度と合理化されたシステム、そして、豊かな心を失った官僚や役人たちに翻弄されて、人としての尊厳までも踏みにじられるような貧困の中で、苦しみながらも支え合いいきていこうとする人たちの物語です。
決して、映画の世界や他の国の話ではありません。
監督ケン・ローチは
生きるためにもがき苦しむ人々の普遍的な話を作りたいと思いました。
死にものぐるいで助けを求めている人々に国家がどれほどの関心を持って援助しているのか、いかに官僚的な手続きを利用しているか。
そこには、明らかな残忍性が見て取れます。
これに対する怒りが、本作を作るモチベーションとなりました。
公式サイトから引用しました
ぜひ、この「Stay Home」の期間に見てもらいたい映画を紹介しました。
ではまた。