色覚障害の生徒に教師が差別発言をして、精神的苦痛を負わせたとして、(北海)道に100万円の賠償請求を求めた訴訟の判決がありました。札幌地裁は「名誉を侵害する違法な発言」として、道に30万円の賠償を命じました。この訴訟を報じる新聞の記事を読んでいて、『いじめの政治学』(中井久夫著)に「一部の家庭と学校は、懇切丁寧にいじめを教える学校といえそうです。」という言葉を思い出しました。いじめという視点からこの訴訟の内容を考えてみたいと思います。
教師が生徒に差別発言した経緯
北海道新聞の記事を引用させていただきます。
教諭は2016年3月、パソコンの表計算ソフトを使った「情報」の授業中、色覚障害の影響で課題の作製に手間取っていた当時2年生の男子生徒に対し、クラスメートの面前で「字が読めないのか。お前は色盲か」などと発言した。生徒は色覚障害者であることを、教諭やクラスメートには伝えていなかった。(「北海道新聞」2018年6月22日付)
教師が生徒に差別発言をしたことへの判決とその理由
基本的に、北海道新聞の記事を基にしています。以下の判決内容やその他かぎかっこは、北海道新聞からの引用です。
札幌地裁の判決
「名誉を侵害する違法な発言」であるとして、「道に100万円の賠償請求をめいじ」ました。
判決に至るまでの訴訟での道の主張
「教諭は障害者であることを知らず、侮辱の意図はない」
道の主張に対する地裁の判断
高木裁判長は、先天性の色覚障害は日本人男性の約5パーセントが該当することから「教室内に色覚障害を持つ生徒がいる可能性は想定でき、必要な発言ではなかった」と判断。「他の生徒に障害を知られる事態を招き、プライバシーの利益も侵害した」と指摘した。
学校はいじめを教えてはいけない!
学校はいじめを教えてはいけない!という理由
『いじめの政治学』で中井氏は「いじめの手口は、一部の家族や先生から学ぶ。その方法だけでなく脅す表情や殺し文句も」だと言っています。この教師の生徒に放った発言は北海道新聞が書いているように差別発言です。差別は壮絶ないじめだということを考えれば、この発言は、生徒をいじめの対象としたということになります。
そもそも、この教師は、この生徒が障害がないからこそ発した差別発言なんじゃないかな。だからこそその発言の持つ意味が大きいかな。道側が「教諭は障害者であることを知らず、侮辱の意図はない」と主張していること自体がおかしくなるよね。色覚障害があるとわかっていたら、逆にこんな発言はしなかったのではないかと思う。
この訴訟の判決内容を読むと、学校でいじめがあったことが発覚した時の学校側の対応と今回のように学校(教師)が犯したいじめに対する対応が、どちらもいじめられた生徒のことを考えるのではなく、学校と教師を必死で守ろうとしているように見えて仕方がない。
まとめ
今回は色覚障害のある生徒に「字が読めないのか。おまえは色盲か」と差別発言をした教師に対する訴訟について、何か変だなーと感じたことを書きました。
きっかけは、道側の「教諭は障害者であることを知らず、侮辱の意図はない」と主張したという記事を読んで、違和感を感じたこと。そこから、中井久夫氏の『いじめの政治学』に書かれた「一部の学校は懇切丁寧にいじめを教える」という一文が結びついたことからです。
色覚障害のあることがわかっている生徒には、このような言葉は言いません。初めから、侮辱する気持ちがあったからこそ放った差別発言だったということでしょう。
僕は、長い間教師をやってきたので、多くの先生たちの頑張りを観てきました。一生懸命、生徒のために頑張る先生たちのほうが多いこともよく知っています。しかし、そいう先生たちの思いが届かない教育環境になっていることもよくわかっています。だから、この先生ももしかしたら、軽いノリだったのかもしれません。雰囲気を盛り上げるつもりだったのかもしれません。たまたま指導の仕方を間違ったのかな。疲れてイライラしていたのかなちいろいろ考えることはできます。でも、もっと想像力があったらと思わざるを得ません。
この記事を読んで気分を害する先生もいるかもしれません。それは、僕の書き方、伝え方が悪いのだと思います。自分の文章を書く力不足を反省します。
でも、今の教育現場にかけていることは、本質を見誤らないことと現実を受け入れる勇気だと思っています。子どもたちが安心して通える学校であってほしいし、子どもたちに教えたり遊んだりすることが楽しいと思える先生がたくさんいる学校であるためには絶対に必要なことだと思います。