タイトルにエッ!?と思って思わず買ってしまった
著者の加用さんは、子どもの遊びを中心に研究する発達心理学の研究者。
僕なんかは、「光る泥団子の加用先生」として以前から知っていました。
多分僕くらいの年代で子供にかかわる仕事をしていたら、きっと名前ぐら
いは聞いたことがあるかもしれませんね。
その加用先生が出された本ということとタイトルの「お馬鹿行動」(え!?
あのお馬鹿行動?)と「研究」という言葉の妙なアンバランス感に思わず
購入してしまいました。
ちなみに光る泥団子はこれです。
加用先生は『光る泥だんご』(ひとなる書房、2001年)も出されています。
あなたは「お馬鹿行動」からどんなことを想像しますか?
「いいまちがい」とか「勘ちがい」など笑える行動を思い浮かべるのではないですか?
もちろんこれらの行動も「お馬鹿行動」なんだけれど、ここでは、特に
どうでもような結果しか招かないことに多くの労力を払う(反対は効率のよさ?)、大きな努力
を払ったのにたいした結果しか得られない(反対は努力が報われる?)、どうでもいいことに
熱中したり大喜びしたりするなど・・・、そういった意味での落差の大きさが目立つ行動の総称
(深い愛を込めた)であるとひとまずご理解ください。
「本著序章p-26より引用」
として「子どものお馬鹿行動」を取り上げています。
著名人たちの子供時代も題材になってます
「ちびまるこちゃん」などの漫画やはらたいらなど著名人の子供時代の記録
学童保育所の実践記録などから事例を収集しています。
時代背景的には古くて、今の時代では…?というものが多いのだけれど、
決して、昔はよかったよね的なものではありません。
今の子供たちの身の回りには、いろいろな事件や事故がたくさん起きて、
どうしても安全対策が優先されるようになっています。
そんな中、子どもたちに遊びを!と「遊びの重要性」を訴える声も大きく
なっています。
けれど、
遊びの重要性を叫ぶ必要性が増すにつれて遊び感のほうはどんどん「学び」
化していくという奇妙な(?)経過をたどっている。「本著おわりにp-220より引用」
とその傾向に疑問符をつけられています。
何が面白いかは、子どもにしかわからない
加用先生は以前、「子どもがなぜ遊ぶのか、なにが楽しいのか、ほんとうは
よくわかっていない」
ということや、
「遊びの研究が、言葉やイメージをあやつるなどの「成長」だけに力点が置かれ
すぎ」ているとお話されていたことがあります。
しかし、「実際の知性というのは感覚的なもので、その根本部分を置き去りにす
れば視野が狭くなってしまう。」
とも言っています。(「不登校新聞」08-09-29)
大人から見たら何がそんなに面白いんだろうというよう遊びでも、子ども時代の
各時期時期に大切な遊びってあるんだなとあらためてかんがえたよね。
そして、その必要な遊びは決して教えられるものでもないなということも。
大人ができることは、子どもたちが遊べる環境を作ってあげるってこと
かもしれないなと思いました。(最後は感想になってしまいました。)