明けましておめでとうございます。ストレス社会で毎日ストレスに晒され、メンタルを病んだり、職場をやめたり、命を落とす人たちを少しでも助けたいという思いから、強いストレスに晒されても折れない、柔軟でしなやかな心を作る手助けをしているアドバンス・レジリエンストレーナーの長沢です。
年末の紅白歌合戦は豪華でしたね。久々に僕も少しだけ見ました。お目当ては、米津玄師さん。良かった~。
米津玄師さんを一躍有名にしたのは、テレビドラマの『アンナチュラル』でした。このドラマも良かったです。
アンナチュラル「殺人遊戯」は震えた
特に「いじめ」での自殺を、『法律では裁けない“いじめ”という名の殺人』と主人公がいじめについて言った「殺人遊戯」というテーマの回の時は、もう震えました。いじめの本質を突いていました。学校や大人の無責任さと周りの生徒の無関心さなど、まさにいじめの現実を見事に表していました。
残念ながら、いじめの現状は今も変わらず無残なままです。いじめを受けている子どものSOSは大人達によってかき消されています。
人が集団生活を営む以上、いじめはなくなりません。
これは万国共通の問題です。しかし、なくすことはできなくても少なくとも減らすことはできます。そして、命を絶つ子どもを亡くすことはできます。
いじめをなくす方法
集団のあるところにいじめは存在するという認識を持つ事が、いじめを少なくする第一歩です。しかし、日本の教育現場は、逆なのです。
文科省の「いじめ」対策の指針を読んでも、学校現場にいじめはないものとしての発想なんですよね。だから平気で、学校現場にいじめの数の報告をさせるのです。
学校現場は、いじめはあってはならないものとされているのに、いじめの数を報告したらどうなります?現場の責任が追及されるだけですよね。そりゃー、正直に報告なんかしません。また、実際にいじめがあったとしてもあってはならないものですから隠そうとしますよね。子どもが死んでも。
あっ、ごめんなさい、ちょっと熱くなって書いてしまいました。現場の先生達は一生懸命なのは分かっていますし、現場を悪く言うつもりはありませんよ。上手く伝わらなかったら本当にごめんなさい。
でもね、最初の一歩が違うんです。最初の一歩が違ったら現場だって間違います。
とにかくどんな学校・学級にもいじめはあるというところから始めないといけません。そして、いじめは犯罪だということも認識しないといけません。そうしないといじめは少なくなりませんし、自殺する子どもはなくなりません。
だれだって、ちょっとこの人苦手かもという人や嫌だなと思う人っていませんか?正直に言うと僕にだっています。そういう気持ちは誰でもあると思います。それは当たり前の気持ちです。
たとえば、みんなで決めたルールなのに守らない人がいたとき、どう思いますか?ルールを守らない人には罰が必要と思いませんか?でも、この時いじめって普通に起こりえるという認識とそうで無い時というのは大きな差になってきます。もしかしたらそれがいじめに発展するかもしれません。
まとめ
米津玄師さんの歌を聴いて、テレビドラマ:アンナチュラルを思い出したら、思わず熱くなってしまいました。
ちょっと乱暴な書き方になってしまったのであらためて又詳しく書きたいと思います。
今日は、いじめは普通に集団のあるところにはあって当たり前と考えておくことが大切だよということを書きました。この第一歩を間違えると、いじめは無くならないと思います。
自分の行動を冷静に見られるようにしておくことも大切ですね。そのためには、メタ認知を高める方法もあります。レジリエンストレーニングでは、自分の考え方の癖などを知っていくトレーニングがあります。自分の考え方の癖を知ることで、何か起きたときの対処方法を冷静に考えることができるようになります。