知的障害者施設「津久井やまゆり園」事件が、今月26日で4年が経ちました。
こんにちはメンタルトレーナーの長沢です。
自分の強みを生かしながら、チベーション高く、前向きに、そして、ワクワクしながら、自分で考え行動し、ポジティブで健康な心で生きられるサポートをしています。
今日は、いままでとはちょっと違うお話をします。
自分の思いをつらつらと書いています。
「津久井やまゆり事件」、今月で4年になります
最近のアメリカの黒人差別問題の拡大と日本での差別発言などを見聞きすることが多くなり、改めて、あの事件、「津久井やまゆり事件」を風化させてはいけないなという思いが強くなっています。
ですので、今日はその話を少し書きたいと思います。
「津久井やまゆり事件」、今月で4年です。
『津久井やまゆり』事件が、あれほど関心を呼んだのは、当然凄惨な事件であたことはもちろんのことです。しかし、別の意味もあったのではないかと考えています。
それは、単に「何の罪もない人が大勢殺害された」ということだけではなく、ひとりひとりの中のある差別性に気付かされたということだと僕は考えています。
だからこそ、なぜ植松死刑囚があれほど凄惨な事件を起こしたのかを知りたがり、最後まで、彼のこころの中を読み解こうとしたのです。
それは、自分の中にある差別性への気付きといつか自分も同じことをしてしまうかもしれないという恐怖が深層心理の中にあったのかもしれません。
僕は学生時代、障害者福祉を学ぶ中で、ある本に出会い、自分の中にある差別性に気付かされました。
障害があっても生活の主人公として生があり、何もできないのではなく、精一杯生きようとしている努力を見ようとしなかっただけなのだということを教えられました。
僕はそれから今まで自分の中にある差別性と葛藤しながら子どもたちと接してきました。
自分の中にある差別性に気がついたとしても、それを正そうとすることはとても努力が必要です。
障害児者、老人など対人援護職にある方たち以外でも多くの人は、この事件で自分の中にある差別性に気付かされたかもしれません。
僕が長い間籍をおいていた障害児教育の世界のこと
僕が30年以上の障害児教育現場での印象を語ると、多くの障害児教育に関わる人達は心優しい人が多いです。
子供好きを自認している人もたくさんいます。
でも、心優しい教師たちですが、この事件で初めて、自分の中の差別性に気づいた人もいるかも知れません。
それは例えば、子供を好きということの中身が、条件付きの優しさだったり子供好きだったりということです。
多くの教師は、決してどんな子供にも優しくて好きなわけではないのです。
教師としての自分の言うことを聞くとか、自分のおもいどおりに動くとか、そういう子が好きなだけという教師です。
でも、そこからはみ出す子供は問題児となります。優しさの対象外となるのです。
僕が今まで出会ってきた教師の中には少なからずの人数が、障害の重たい子を教えたがらなかったり、障害の重たい子供がいない学校を選んだりしています。
障害児学校の実態を暴こうというのではないです。実際に、自分野中の差別性に気が付かないで教師をしている人がとても多いということです。
人種差別
アメリカの黒人差別の問題が大きな話題になりました。
日本においても少なからず影響があったと思いますが、一方で、最近は芸能人差別的発言も目にします。
その内容を見ていると、「政治的な」とか「思想的な」とかの意味合いはないように見えます。
本当に純粋にと言っては言いすぎですね、本当に知らないと言ったらいいのか無知ゆえの発言のように聞こえます。
先日は、
日本が誇る優秀なスポーツ選手の遺伝子は残すべきだみたいなことを有名な芸能人の方が言っています。
まさにヒットラー的な考えですが、それが優生思想だとか、それがどんなに恐ろしいことなのかということがわかっていないのではないかと思います。
自分の中にある差別性もそうですが、自分で気が付かないということが本当は一番怖いことなんですね。
知らないうちに利用されていきます。
植松死刑囚の考え方を同調できなくても完全に否定できない人や同調している人が少なからずいることもわかりました。
だからこそ、この4年前の事件を風化させては行けないのだと強く思うのです。差別意識や優生思想の怖さを伝え続けていく必要があると思うのです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
自分の思いを書き綴っただけのようになってしまいました。
ではまた。